不良中年の独白1

いつものように朝は激しい頭痛で目が覚める。つまり二日酔い。なにはともあれ、まずはスポーツ新聞を読まないと1日が始まらない。ギャンブル欄に目を通すことから一日がまた始まる。表向き月曜から金曜日までは、会社で仕事をしていることになっている。銀座七丁目に事務所を構えるこの会社は、中国、香港、ベトナム、シンガポールなどアジア圏を相手にしている便利屋というか何でも屋的な会社である。

—-どんな依頼内容でも断りはしない。—-
なんて心がけているうちに様々な分野に足を突っ込むことに....
しかし、このアジアの便利屋は仮の姿であって、本職は博打で生計を立てている。駆け出しの頃、確かに博打を仕事として、しのいでいくことは、至難のことであると認識していた。それでも何度か大当たりを経験し、甘い汁を吸ってしまうと、
「博打だけで暮らしていければ...」などと、私の煩悩が囁きかけてくるから、困ったもんだ。私はこの誘惑を遠ざけることが出来なかった。またこの素直な感情を自制する必要性があるようにも思えなかった。気がついてみれば、
—-行く道はとことん行くしかない!—
と開き直っていた。それからというもの私はありとあらゆるギャンブルに手を染めた。日本の公営ギャンブルはもとより、アングラカジノや海外のバカラを筆頭とする博打場まで遠征した。勉強熱心な私は、博打関係の必勝本も良く研究した。一時期、阿佐田哲也、白川道、伊集院静辺りの博打ものを熱心に貪り読んでいたが、最近はもうやめた。結局他のギャンブラーが書いたものを読んでも、実際の鉄火場では全く役には立たず、無意味だから。鉄火場における反射神経というのは、どうしたって経験を積んで体で覚えていかないと使いモノにはならない。
上手い具合にこんな私の博打三昧の生活で神経が麻痺しているところに、不定期ではあるが、前述した海外での仕事の依頼があると、私の疲れ果てた神経を癒すのには絶好の機会となるのであった。6月中旬、シンガポールに行って来た。
—-依頼内容は、シンガポールで一番の美少女を探せ!—
というもの。今日本の芸能界でもアジアの人材に熱い視線を送っている。特に中国語が通用するASEAN諸国は、芸能分野の巨大マーケットである。依頼主は、アジアのカワイコちゃんを歌手にするらしい。あちらこちらと街をかけずり回り、新聞に募集広告なんかも入れてやっとのこと、16才で後藤久美子似の天然トロピカル美少女を探し当てた。依頼された仕事が終われば、今度は自分自身のナイトサファリの時間だ。今夜の獲物はどいつだとばかりに、慣れないシンガポールの街の情報を集めることにした。
表向きシンガポールは大変つまらない街と言える。回りを見渡せば、伊勢丹、高島屋にそごうデパートとまるで東京そっくりの雰囲気。ゴミ一つ落ちていない、整理整頓されたクリーンな国だ。こんなところに私を満足させてくる風俗の店などあるのだろうかと多少不安になっていた。セオリー通りにタクシーの運転手さんに聞いてみるとすぐにこちらの目的を理解したらしく、市内から南へ約15分車を走らせると、街の表情が一気に変化した。ちょうど歌舞伎町や大久保のラブホテル街にそっくりであった。この場所はガイドブックなんかには出ていない、秘密の場所。。。
私が初めてこの街に足を踏み入れたと悟ったのか英語も中国語も操る気さくな運転手さんは、
「ガバメントコントール、ノープロブレム、エンジョイ!」
と私に安堵感と気合いを入れてくれた。

私が案内されたのは、この赤線地帯の中でも、ランクの高い女が集まる置屋らしい。入り口のところでは目つきの鋭い用心棒が見張りをやっていた。まあトラブル処理係といったところか。
ショートでシンガポールドル200。相場はこんなものかと待合い室で待っていると、最初の女が案内されてきた、東京のホテトル遊びでも言える事だが、この手の置屋の基本ポリシーとして、最初に人気のある良い女をあてがうことは希だ。まずは売れない女から客に押しつけるのが置屋の常套手段。そんなことは先刻承知の私は3回女をチェンジすると4回目にはマレーシアから出稼ぎに来ているというモデル体型の上玉が出てきた。しかし結論から言えば、確かに全身を隅々まで彼女の舌でゆっくりとナメ回すサービスには感動したが、あとは飛びきりどこが優れていると言うわけではない。36才になったこのごろ、一晩限りの遊びが段々と億劫になっていることに気が付いていた。振り返って見れば、中国、ベトナム、香港、タイ、アメリカと妻の数を増やしてきた。特に理由はないが、一つの国に一人としたいのだが中国に限っては、北京に一人と香港に二人いる。
インターナショナルな種馬を自認する私としては、ここシンガポールにも、何としても根をはりたいところだ。翌日決意を新たにすると、今度はインド人のタクシー運転手に何か閃きを感じ、とにかく美人のいるところに連れて行ってもらうことにした。まずリトルインディアでインド美人を紹介されたが、私は一晩だけの付き合いではなく、長くつき合える妻の候補を捜していると説明すると町外れのカラオケ屋に案内してくれた。最初のホステスにノーサンキューをすると次に出てきたリサという女に不覚にも一目惚れしてしまった。私はその時すでにかなり酒を飲んでいたが、リサは、これ以上飲むと気分が悪くなるからとウーロン茶にたくさん氷を詰めたドリンクを注文してくれ私に強制的に飲ませてくれた。
—-はっきり言って私はこんな何気ない心遣いに弱い!—
リサのことをシンガポール人と思っていたが、実は中国温州出身でコンピューターと英語の勉強の為にシンガポールに留学してる中国の女子学生だ。半ば強引に外で会う為のアポを取り交わすと約束場所のグッドウッドパーク正面に先回りした。
リサが必ずくることは、カラオケ部屋を出るときに交わしたキスの時におずおずと私の誘導通りに舌を絡ませてきたことからまず間違いないと踏んでいたのだ。
気に入った女が約束通りに来るか来ないかは博打で結果を待っている時以上にドキドキするものだ。
—-あいつは(女)は必ず来るに決まっている!—
リサの乗ってきたタクシーに相乗りすると、チャイナタウンへ。
深夜2時を回っているというのに川沿いにあるカフェバースタイルの飲み屋はまだまだ賑わっていて、もっぱら若いカップルたちが大きなボリュームでUKミュージックと共に騒いでいた。リサをホテルに連れて行こうとすると、彼女は頑なに首を振った。
しかし、静かに目を見つめ、隣に坐っている太股の上をそっと撫で上げ、おもむろに少しだけ強く掴み、
「リサの部屋をどうしても見たい。」
と言うとこっくりとうなずいていた。
シンガポール人の家で花嫁衣装専門の写真スタジオに下宿しているというリサは、毎月500ドルを家賃として納める替わりに、2回の角の6畳ほどの部屋に寝泊まりする場所を確保していた。大家の住人たちに気付かれないようにそっとリサの部屋に忍び込むとエアコンがなく蒸し風呂状態だ。私が熱くて死にそうだと言うとリサはさっとどこかの部屋から扇風機を3台も調達してきて、私のシャツを脱がせ心地よい風を吹きかけてくれた。そのあと、ぬれたタオルで私の上半身を丁寧に拭いてくれたのだ。
—-何度でもいうが、私はこうした何気ない心遣いに弱い!—

リサは、初対面で体を許すことなんて出来ないと、可愛いことを言っていたが、既に目は潤んでおり、私の受け入れ体制が完了していることは、お見通し。
私へのフェラをイヤイヤしたり、後ろからの交わりを断固として拒否する極度の恥じらいの仕草から、この女は男の経験がほとんどないと判断。
—-女の過去はどうでもいい、大切なのは私と関係が出来た後どうなるかだ。–
一度目の厳粛な儀式が済み、まどろみながらふと目を覚ますとサッカーの日本戦があることを思い出した。そっと1階に降り、様々な色の撮影用の花嫁ドレス脇にあるテレビを付けた。サッカーに熱中していると目を覚ましたリサが横に坐っていた。
私があの純白のブライダル衣装を着てくれとせがむと変な人ね、なんていいながらリクエストに答えてくれた。裾のフワっと広がった花嫁衣装を着込み背中のホックを止めるのを手伝ってあげると、私はそのまま両手でリサの豊満な胸を鷲掴みした。
大きな衣装を下からめくりあげ、リサの両手をテレビにつかませ安定させながら一気に後ろから交わった。終わってからいつまでも抱きしめていたい衝動にかられチークダンスを踊るように、狭いスタジオの中を行ったり来たりした。サッカー中継はいつの間にか終わってしまったようだ。
私が博打を止められないのは、あちらこちらにいる海外の女房たちをいつの日か一堂に集合させ一つ屋根の下で暮らしてみたいという未果てぬ夢を叶える為かも知れない。