Inspired by The Lord of the Rings-Tolkien

He still remembers the scene very well on a day of spring cool breeze, hot sunny day. There were 20 men customers who were desperately searching for temporarily lover as one night pleasure, standing in the hall at cafe called “Endless Despair”, looking at the girls with “Eye of the Dead Fish”. Jimmy also used to be just one of them before. 17 young girls were just waiting for somebody ask her to go outside for “Date” with earning some money. One day she was sitting at the seat of No. 18, to the corner of secret membership cafe, especially attending on the weekend, wearing summer clothes, waiting for somebody to talk. Jimmy noticed that she gave many rejections to the lonely guy customer who asking her to have a  date with. God only knows why that she had done to do so. She kept watching her own iPhone vaguely with gloomy face while maybe she was typing something for LINE. Unlike another girls, she never ever took the light snack, kind of chocolate, candy, potato chip which equipped at the cafe. Suddenly her intellectual and sophisticated atmosphere strongly attracted Jimmy’s deadly wounded  fragile weak heart. She could not see anybody guys from her women side through “special mirror glass”. But he could see her very well from mens side by see-through glass, she was well recognized from her head to toe except her face under the mask. Instinctively he felt that it was the high time to say “Hello” to her. ”Now or  Never”..whispering in his mind, secretly.

Falling  Love  at “First Sight”

Sometimes, at somewhere, there is probability..

It may happen to anybody..

Trying to survive with those sweet REMINISCENT, once 256 angels came down from the heaven to save his life, however they had gone with the wind, suddenly vanished without saying anything.

“Do not go far away from me..

Will you do me a favor, pls.”

“Where are you right now..?”

“Can’t see you..”

Letter to Usagi Nakamura

中村うさぎさんに伝えたいこと。

依存症における「底付き」について

2019年7月4日、初めて上野アメ横で偶然「出会い喫茶K」の看板を見つけて以来、2021年12月末日に至るまでに延べ289名の主として奨学金返済の為のいわゆる「パパ活」で生計をやりくりしている20歳前後の女子大生達にお世話になり長期に渡り目一杯限界ギリギリまで深くのめり込んだ結果、精神的にも経済的にもダイナマイトで木端微塵に吹き飛ばされたかのような様相を呈し、見事に砕け飛び散ると共に仕事方面をはじめとする私を取り囲む公私共に全方位的な関係の全てが破綻し自滅しました。この遊びを知る以前の私はマスコミメディアが貧困女子やら女子大生風俗嬢についての実態と題して報道されたところで私には全く接点のない無縁の世界に生きる人たちのことと受け止めていて「パパ活」と呼ばれる新しい社会現象乃至トレンド文化については全くの門外漢でした。当時果たして本当に大学に進学するような勉強が出来て優秀な女子大生がいくら奨学金返済やら生活が困窮したとしても風俗で収入を得るものだろうかとその筋の報道自体にとても懐疑的でありました。この目で実態を確認したいとの願望や興味が人一倍強かったものの、まず入口がわからない状態で当然ながら若くて可愛い女子学生に対しては当然ながら人一倍の強い興味があった時期でありました。私自身を振り返って見るとギャンブル依存ー破綻ー再生ーアルコール依存(フィリピンパブ中毒含)ー破綻ー再生という私の人生を振り返った時、俗に言う「飲む打つ買う」という男の煩悩3拍子の領域では「買う」という風俗遊びの分野において阿鼻叫喚のたうち回るという経験をほどほど有してはいたものの、今思えば還暦に近づいた58歳にして特段覗く必要のない非日常世界のパンドラの箱を開けてしまった感がありました。常軌を逸した出会い喫茶を訪れる女子学生に対する自らの尋常でない執着心と強烈な願望に全く歯止めがかけられず、もはやまっとうな社会人としての日常生活の継続が困難な廃人に向けてまっしぐらに落ちて行くような絶望的な日々に思い悩みました。そこで池袋所在で唯一の性依存症の専門病院である榎本病院に救いを求め受診し「強迫観念的性依存症」なる診断を受け、治療として数回自助グループに参加し更生プログラムによる復帰訓練というものを受けました。性癖矯正専門病院での徹底的な禁欲生活を旨とした即ち自慰行為は厳禁であり、一切してはいけない乃至執着する出会いカフェの対象エリア(上野、池袋、新宿、渋谷、大宮、横浜、川崎)には絶対に近づいてはいけない、妻、恋人以外の女性(ちなみに私は4バツ独身で特定恋愛パートナーはなし)との性交は不道徳であり絶対禁止というような治療方針で「私の性依存症」なるものが好転するとは到底思えませんでした。朝から晩まで「今日これから出会い喫茶に行けばきっと天使のような女子大生との運命の出会いが待ち構えているに違いない! さあ、もたもたするな、今からすぐに行くんだ!」というような強迫観念を伴う激アツな妄想に抗うことなど全く出来ない状態に陥っていたのでした。こうしてだらだらと中国掛軸売買で稼いだ手持ちの預貯金1,200万円を取り崩しもはや中国書画美術商としての作品鑑定やお宝収集活動には全く興味を無くし集中出来ない状態が続き朧げながら今回の深く強度な性依存症を伴う生活破綻と精神崩壊はもはや避け難く、概ねそれまでの人生においては破滅と再生を3回繰り返しながらもかろうじて生きながらえてきたとの自覚がありましたが4度目の破綻は年齢気力的に沼に落ちたら最後そのまま這い上がることなどは到底出来ないだろうと先行き不透明でエンドレスな絶望感が色濃く脳裏を掠め始めておりもはやどうにも制御不能な末期麻薬患者の如き状態に陥入り夢遊病患者のように2021年10月には銀行カードローン・サラ金3社から掻き集めた450万円を懐に歌舞伎町のお気に入りラブホテルLISTOに籠城するかの如く出会い喫茶に集まる若い女性への飽くなきエンドレスな欲情をこれでもかこれでもかと体調の良い日は1日4人の若い女性とシンクロしながら(その時は既に強烈な射精感の達成というものへの関心は完全喪失していました。1分1秒でも誰かと結合している時間が長ければ長いほど破滅崩壊、死への不安から解放されるので落ち着くという刹那的かつ絶望的な妄想状態の中で最後の瞬間が訪れることに怯えていたのでした。)、自分の破滅願望と虚構の世界がないまぜに共存する中での歌舞伎町の日々、毎日の一瞬一秒が人生の中におけるクライマックスであるかのような歪んだ錯覚に酔いしれセントラルロード界隈を取り囲む街全体が完全にピンク色で統一されているかのような倒錯した末期的な極限の状況に陥っていました。歌舞伎町TOHOビルの下でその時々の女性と待ち合わせをすることが多く、上階には大きなゴジラの頭部があることさえ若い女性に夢中になっていたことから周囲を見渡す精神的な余裕を無くしていたのでしばらく気がつかない有様でした。初めてゴジラヘッドに気がついて目が合った時はただ何だか気恥ずかしく、完全に現実逃避に没頭していた後ろめたさから瞬間ハッと我に帰ったのがまるで昨日のことのように思えます。一円残らず全ての金を使い果たした後は埼京線(私が普段一番頻繁に使用する路線)に飛び込み自分自身の内面に深く巣食う制御不能となった獣欲の化身のような悪魔諸共、私自身の存在自体を跡形もなく葬りさることでしか救済への道はないと自分に言い聞かせ、断末魔の呻き声を漏らしながら一直線に死への彷徨を繰り返していたのでした。想定通り無一文となり翌月の電気ガス水道料の支払いにも事欠くような状況に陥り借金取りに怯えながらも末期性依存症の脱出口または終着地点を模索するものの起き上がることさえ不能となっていた刹那、貪るように読んだのが「セックス放浪記」を始めとする「病系」と題するうさぎさんの本だったのです。本に書かれた文字は広大な砂漠に水がいくらでも染み込んでいくかのような不思議な吸収力を持った魔法の言葉のようにまるで点滴により全てのtext文字が全身の血管を伝って体中を駆け巡り踊りだすような心地良ささえ感じさせてくれました。脳内麻薬の如きドーパミンが分泌される脳内ではうさぎさんの煩悩封印text攻撃により性欲発進向上指令神経を急速フリーズさせ、応急処置的に脳全体を一旦麻痺させつつ静かに蘇生させつつ休息を与え徐々に理性ある正常な脳へリカバリーされていくような幻覚の中、起き上がることさできずにひたすら布団を被って寝ていたのでした。と同時に自らの「出会い喫茶放浪記」を振り返る気持ちの余裕が徐々に芽生えてきたのです。

ありがとうございます。

問題意識としては博打依存や酒(焼酎金宮キンミヤ中毒)依存においては徹底的にお金と時間を興味の対象にぶつけて格闘し向き合い呻吟した結果、その時々の対象自体がどうにでもよくなり関心がなくなってしまったという自ら辿り着いたという経験値があり依存対象に対する「底つき」という概念の体感と精神状態の関係に大いに関心を抱くようになりました。丸2年と最後の総攻撃を仕掛けた感のある歌舞伎町の天使たちとの朝から晩まで3ヶ月に渡る獣欲の化身となったあの非日常の日々が私にとっては「底付き」に最も近づいた状態だったのかもしれません。そのように気付かせてくれたのは私にとってはまるで聖書のような存在の本となった、うさぎさんの「セックス放浪記」だったのでした。

2022年3月20日 篠田達也