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Oblivion

脳梅毒受験日記 第五章― Oblivion(消失)

忘却は、救済ではなかった。

 むしろ、それは最後に残された刑罰に近かった。

 あれほど強烈だったはずの記憶が、少しずつ輪郭を失っていく。声の高さ、笑い方、肌の温度、待ち合わせ場所の光、ホテルの廊下の匂い。かつては確かに自分の内部を支配していたものが、時間の経過とともに、曇ったガラスの向こう側へ押しやられていく。

 消えてほしいと願ったこともある。

 だが実際に消え始めると、今度はそれが怖くなる。

 自分が何に壊され、何に金を払い、何を欲しがっていたのか。
 その輪郭まで失われてしまえば、あの5年間は本当にただの浪費になる。

 317回。
 167人。
 1190万9300円。

 数字だけは残っている。

 数字は冷たい。
 だが、冷たいからこそ裏切らない。

 私はノートに何度も同じ数字を書いた。

 それは懺悔ではない。
 反省でもない。

 消えていくものを、せめて記録として縛りつけるためだった。

 Angelのことを考える。

 考えているつもりだった。

 だが、ある日気づく。
 自分が思い出しているのは、もう彼女ではない。

 彼女を通じて見えていた風景だった。

 金で買われる身体。
 病を抱えたまま回転する生活。
 壊れているのに、稼げてしまう幻想。
 破綻しているのに、まだ続けられてしまう現実。

 それは彼女個人の物語ではなく、私自身の鏡像でもあった。

 壊れるまで買い続けた男。
 壊れるまで売り続けた女。

 その二つが接触した瞬間、何かが発生した。

愛ではない。
 救済でもない。
 理解ですらない。

 ただ、同じ崩壊の別方向を見ているという認識。

 それだけだった。

 そして、その認識がいちばん危険だった。

 なぜなら、それは関係を美化するからだ。

 地獄に意味を与え、
 破綻に詩を与え、
 病に運命のような輪郭を与える。

 私はそれをしてはならないと知っている。

 だが、文学とは、しばしばそれをしてしまう行為でもある。

 Oblivion。

 消失。

 すべてが消えていく。

 快楽の記憶も、罪悪感も、怒りも、欲望も、憐憫も。

 最後に残るのは、ひとつの問いだけだった。

 ――あれは本当に必要だったのか。

 答えは出ない。

 必要だったと言えば、あまりにも醜い。
 不要だったと言えば、あまりにも虚しい。

 だから私は、答えの代わりに机へ向かう。

 東京大学文科一類。

 その文字列は、忘却に抵抗するための最後の装置だった。

 過去を消すためではない。
 過去に別の文脈を与えるために。

 英語の長文を読む。

 構文を取る。
 主語を探す。
 動詞を確認する。
 接続詞の向こう側へ進む。

 文章は、崩壊しない。

 少なくとも、こちらが正しく読もうとする限り、文章はその構造を 保っている。

 それが今の私には奇跡のように思えた。

 人間は崩れる。
 関係は崩れる。
 身体も、精神も、約束も崩れる。

 だが、一文だけは、まだ読める。

 ならば、今日も一文読む。

 忘却の中で、私は完全に救われることはない。

 Angelも救われない。
 過去も救われない。
 払った金も戻らない。
 失った時間も戻らない。

 それでも、消失には一つだけ役割がある。

 執着の輪郭を鈍らせること。

 鮮明すぎる記憶は、人間を現場へ連れ戻す。
 少しぼやけた記憶だけが、作品になる。

 私はようやく理解する。

 忘れることは、裏切りではない。

 忘れなければ、書けない。

 完全に覚えているものは、まだ現実の一部だ。
 少し失われたものだけが、文学の領域へ移動する。

 だから私は、彼女を忘れ始めていることを恐れながら、同時に受け入れている。

 これは喪失ではない。

 変換だ。

 脳の中で腐っていた記憶が、言葉へ変わる。
 金で買った時間が、文章へ変わる。
 破綻した欲望が、受験勉強の沈黙へ変わる。

 外は夕方になっていた。

 部屋にはまだ何も起きていない。

 だが、何も起きていないことが、今はありがたかった。

 私はノートの端に書く。

 ――Oblivion is not the end.
 ――It is the beginning of form.

 忘却は終わりではない。
 形の始まりだ。

 その下に、今日解いた英文の点数を書く。

 低い点数だった。

 だが、点数がある。
 測れるものがある。
 やり直せるものがある。

 それだけで、まだこちら側にいる証拠にはなった。

 私は最後に、もう一度だけ数字を見る。

 317回。
 167人。
 1190万9300円。

 そして、その横に小さく書き足す。

 ――ここから先は、払わない。

 金ではなく、時間を払う。

 快楽ではなく、集中を払う。

 崩壊ではなく、形式を払う。

それが、私に残された最後の賭けだった

2018 Todai

昨年よりセンター総合点が51点上昇したが、まだ2次試験を受けさせてもらえない水準であった。しかしながら、やればやっただけ着実に結果に点数という形で反映されるようだ。仕事の成果と違い、努力が報われる世界は面白い。

Way to the TODAI…

2017年1月14,15日とセンター試験なるものを受験した。37年ぶりの試験であった。東京大学文科1類に志願したが定員オーバーによる足切りにより東大本学での二次試験は受験出来なくなった。これは、私のセンター試験の得点が文一志願者の第一段階選抜合格者最低点である571点よりも低い点数であったことを意味する。昨年の9月頃より仕事の合間にこっそりと受験の準備をしてきたが、一体全体、どの科目をどこまでやれば最終合格にたどり着けるのかがおぼろげながら見えてきた程度の状況である。センター試験は制限時間があっという間にやってくる不思議な時間との格闘が妙に心地よく、長年味わうことの出来なかった脳と精神への刺激は酒、博打、女から受けるヤワな興奮を数倍上回る強烈なものであった。まだじっくりと丁寧に解きたい問題があるのにも関わらず後10分で終了の刹那、脇の下からたらりと冷や汗数滴の瞬間が堪らない。早くスタートラインに辿り着きたいものだ。